秋の、訪れを早くも感じています。
暦の上ではもう直ぐ秋です。去年の今頃は、長男の幼稚園が終わってしまうことが悲しくて寂しかった。きっと来年はまた、悲しくて寂しいのかもしれない。陽から隠への転換期はいつも寂しい。
わたしには、その人の魂の輝きが、宿った瞬間を信じてしまう傾向があるようで、その輝きを見つけるとそのままで輝けるようにと、願い、その未来を見てしまうらしいのです。
幼稚園で輝く彼らの命が、小学校という未知数な場所で、どう変化してしまうのか、それが去年の寂しさだと思います。
いつもがっかりしてしまうのは、その未来が、輝ける場所をわたしは確かに見たのに、、、と悲しくなり、そして離別してしまうのです。
しかしながら、私ははなれたすべての人を気にしていました。今までそれは何故かと思っていたけれど、それは、ただ幸せであって欲しいという願いだと気がついたのです。
人とは、そんな単純なものではなくて、命輝くものを見つけても、みんな一気に居場所に戻ってしまうのです。
その居場所は、居場所ではないにもかかわらず、それには気づかぬように。